どんな人にも笑顔で対応するし、分かりやすい言葉で、落ち着いた口調で話す。
服装も華美でなく、落ち着いていて、誰の目にも優しい色だ。
困っている人がいればそっと手助けしたり、悲しんでいる人がいれば慰めることだってする。
名前すら知らない。ウェイトレスとお客さんの関係で、名前なんて、おこがましいよね。
チーフ「リオさん」
彼の明瞭な声が私の名を呼んだ。
チーフ「ホットコーヒー、おかわりお願いしていいですか」
リオ「分かりました」
チーフ「ありがとうございます」
李「えー、じゃケッコンする気ないのー」
きょうも、近所の子供の相手をしてあげていた。
チーフは、とある雑誌の編集長さんで、とても物知りなので、近所の子供たちの質問には何でも答えてあげていた。
その代わり、書いてほしい作品とか、今読みたいものとか、いろいろ聞いているみたい。
だけど子供の、容赦のない質問に、いつもとても戸惑っている。
でも、彼にだって、ああいう時期がきっとあったのだろう。
その時期のその人を知らないのを、とても悔しく思っていた。
チーフ「僕は結婚はしませんよ。読者が奥さんで、子供のようなものですから」
李「でも読者ってすごいわがままでしょ? チーフって好きなこと書いてんの?」
チーフ「私は何でも屋だから、苦手なものも書くよ。好きなことしか書かない作家も、いるけどね」
李「なんでそうしないの?」
チーフ「いろんなものに挑戦したいから――かな。」
彼は真面目で――好奇心旺盛で――優しい。
李「そんな事言って、いろんな人に好かれたいからなだけでしょ」
チーフ「好きなことだけ書いていると、どうしても批判は来るよ。それを避けてるところは、あるかもね」
李「つらくない? そんな生活…」
チーフ「たまにはつらいけど、ここのコーヒーを飲めば、回復するのさ」
私には、分かる。
コーヒーくらいじゃ、その辛さは回復しないって。
こんな生活、きっといつか、ボロが出る。
分かっているけど、大人だから、しかたないよね。
李「ね、リオさんは? かわいいし、気が利くし、年も近いでしょ」
リオ「へっ?」
李「ね、リオさん、チーフとケッコンする?」
リオ「え――ええ、そうなったらとても嬉しいですけど…。」
チーフ「いや、いや、とんでもない。リオさんみたいな方は、とても僕なんかじゃ釣り合いませんよ…」
出た――大人の「茶番」。
だけど、大人は、相手を傷つけてはならない。
もしかしたら、チーフは、同性愛者かもしれないし、何か大きな欠陥があるのかもしれない。
だけど、それを受け入れてくれる人ばかりではない。だから、そのことに触れず、なおかつ相手を立てるために、「大人」は優しい振りをする。
そして、社会は、平和を保っているのだ。
李「するの、しないの、どっちなの? オトナってどうしていつも、言葉を濁すの?」
チーフ「オトナだからね」
思いやりを、持っているからだよ――。
子供は、みんな弱者だし、差と言っても大差はないから、まだ本音で語り合える。
しかし大人になるにつれ、格差が増し、同じように話すだけで相手を傷つけたり、傷ついたりしていくことになるのだ――。
李「あ、そだ、チーフの名前何ていうの? 僕は李有礼!」
チーフ「んー、内緒」
李「えーなんでー! 僕自己紹介したのに、名乗らないなんて失礼だー」
チーフ「じゃあ…耳貸して」
チーフが、子供たちの耳元でじぶんの名前をつぶやく。
李「えっ!? モモコ…!?」
内緒話にした甲斐なく、有礼君が大声で叫んだ。
モモコ…? 顔に似合わない、女の子みたいな名前。って、もしかして…。
李「まさか…チーフって…元女…!?」
チーフ「ああ、そうなんだ…。みんなには内緒にしてね…」
李「そっか…なんかごめん、無理矢理聞いたりして。僕ぜったい、言わないから!」
チーフが元女でも、あたしは大丈夫。
だって、あたしだって、さすがに元男ではないけど、コンプレックスはたくさんあるもの。
たとえば、家がとても貧乏だったとか、父親がいなかったとか…。
チーフ「ありがとう…」
そこまで神妙にしていたチーフの声が、とたんに明るくなった。
チーフ「なーんてね! ウソだよ! 今日は何の日か知ってる?」
李「え? あっ! エイプリル・フールかぁ~! だ、騙されたぁ~」
その時、近くの時計塔の鐘が鳴った。
午後6時の合図だ。
李「あっ大変だ、塾に遅れる。じゃあね!」
リオ「ホットケーキ760円です」
李「じゃーね、チーフ~! こないだのアイドルの話完成したら読ませてね~!」
チーフ「はいよ~」
騒がしい子供たちが居なくなると、たまたま、私達二人だけになった。
午後6時にこれだけ人が少ないのも、この喫茶店が繁華街からかなり離れた所にあるのが理由なのだが…。
私とチーフはふと目を合わせ、お互いに「やれやれ」といった顔を示した。
チーフ「僕も、お勘定、お願いします」
リオ「コーヒー2杯で、650円です」
チーフはお金を千円札で支払って、私はいつものようにお釣りを手渡した。
リオ「ありがとうございました」
私が言ったそのとき、チーフが何か呟いた。
チーフ「――です」
リオ「――え?」
チーフ「僕の名前――"修治"です。いつも、『リオさん』て呼んでるのに、なんだか不公平だから…」
リオ「――あ、そんな、気になさらなくて、いいのに」
チーフ「――こちらこそ――忘れて下さいね」
リオ「すてきなお名前ですね…修治さん…」
チーフ「リオさんも…美しい響きです」
チーフ――"修治"さんは、カウチングハットを被って、店から出て行った。
――いつもあんなお洒落な帽子、かぶらないのに。
もしかして、今日が、エイプリル・フールだから――?
リオ「修治――さん」
名前を呼んだ呟いただけで、ドキドキする。
私はただの、ウェイトレスなのに。
だけど、きょうは、エイプリル・フールだから――。
少しくらい、ばかになっても、いいよね――?
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