―――え、俺、死んだ?
交通事故の音。
死ぬのか?
意識が薄れる。
誰か近寄ってきた。
救急隊員だ。
「お名前はなんですか?」
名前? あ―――え?
名前?
俺の名前、なんだっけ?
ここは、どこだ?
なんで俺―――。
「記憶喪失だね」
「記憶喪失」
実は俺は人造人間で、目の前の医者は俺を作った博士で、俺に偽の記憶を植え付けようとしている―――とか、体が誰かと入れ替わった拍子に、記憶をなくした―――とか色々考えたのだが、両親を見た瞬間、その可能性は死んだ。
「きみの名前は、ルウェ・イリヤだ。タートルシティ2443番地に住む18歳の青年。仕事はせず毎日悪い友達とふらふら遊んでいたそうだ」
グレてたのか、昔の俺。それで髪がこんなに刈り上がっているんだな。グレた原因は、すぐ分かった。父親は酒びたりで、母親は頭がすこぶる悪く、料理すらまともにできなかった。
―――きっと、誰かに助けてもらいたくて、グレてたんだな。
だけど、今更またグレ直す気が、起きなかった。せっかく記憶をなくしたんだから、心機一転、Wikipediaに載るぐらいの著名人になってやるぜ。
そんで俺は家を出た。
―――ねえ、兄ちゃん、なんでこの世にスーパーヒーローは存在しないの?
かつて弟が訊いた。
「素手で隕石を止めるスーパーヒーローはいないけど、警察だって、ビジランテだってヒーローだろう」
「でも、警察たちが僕達を守ってくれる? くれないよね…。」
僕らはユダヤ人だ。
関係はないかもしれない。
けど、関係するという人もいる。
みなし子だから、という方が大きいかもしれない。
「僕ね、大きくなったら、科学者になりたいなあ。警察官はいやだな、自由がないから、本当の悪と戦えない」
「そうだね、本当に、そうだね」
あれから、7年経った。
彼はどうしているだろう。
彼は引き取られて、孤児院を去ったから。
そういえば、私が「ファントム」として活動を続ける決意をしたのも、弟がきっかけだった。
彼は物心ついた頃は、嘘つきな、卑しい少年だった。
いや、嘘つき、という点では、わたしも同じだろう。素顔を隠し、顔を隠して、生きているのだから。
「あっちに万引き犯がいるよ」
「あっちで誰か倒れてる!」
弟は、そんな嘘を日常茶飯的についていた。きっと、人が怒るのが楽しかったのだろう。人が自分の話を聞いてくれるのが嬉しかったのだろう。私は―――いや、ファントムは、その嘘に毎度丁寧に対応した。時に犬が溺れていると言われ増水した川に潜らされることもあったし、向かった先に爆弾が仕掛けられていることもあった(子供の作るものなので、まぁ、大した威力ではなかったのが幸いした)が、何とか一命を取りとめた。
私は、ファントムでいる間は、決して人を疑わない。
それが「ヒーロー」のはじめの一歩であると考えているからだ。
しかし、そんなことを永遠にしていたのでは持たないから、一日5時間と決めている。5時間、それが「スーパーヒーロー」ではない私の活動のタイムリミットだ。
私の行為に罪悪感が疼いたか、それともただ、強さに憧れただけかもしれぬが、それきり彼は嘘をつかなくなった。そして、罪を憎むようにもなった。彼が罪を憎むわけは、両親をマフィアに殺されたことにも由来しているのかもしれない。
ファントムが私だと言うことは、彼にも内緒だった。当時は恥ずかしかったのもある。
そして私は、少しずつでもいい、スーパーヒーローでなくてもいい、彼のような少年だけでもいいから、救ってやるために、「ファントム」になり続けると誓ったのだ。
そんな彼と、私は今日、念願の再会を果たした。彼は約束通り科学者となり、「かつて闇から救ってくれたお礼がしたい」と言った。
「これは?」
緑色の、コンタクトレンズ、―――と思しきものが、「1つ」だった。
「見た目は普通のコンタクト。はめてみて」
ファントムでいる時は、人を疑わない。
私は彼の言う通りに、コンタクトレンズを右目にはめた。
「な、なんだ、これは?」
「それは「スマート・アイ」。赤外線を見たり、ほかにも色々できるから、試してみるといい」
「恩に着る」
「―――ねえ、ファントム。もしかしてあなたは――エトワ・シャルロンティじゃないのかい? 僕の兄の…」
「―――正体は、誰に対しても明かせない。用事があるときは、また、手紙を出してくれ」
「ビジランテ協会に―――ね。仕方ないな。まぁ、あのお気楽な兄ちゃんとあんたじゃ、キャラ違いすぎるけどね」
ごめんよ、ラルフ。
万に一つでも、君が悪の組織との繋がりがないと言えない限り、正体を明かすことはできない。
それが、私の唯一の「欠点」だ―――。
頭を撫でたい気持ちを、こらえるのがやっとだった。
―――「スマート・アイ」。
コンタクトレンズに内蔵されたスーパーコンピューターで、視外線を認識したり、見た物質を特定したり、唇の動きを読んだり、さらに、近未来の予知まですることが可能なのだ。開発した会社は不明。
私が独自に調査したにすぎない
これは、私―――シーターが独自に調査した事例に過ぎない。ほかにも様々な機能がある可能性もある。―――そもそも、目に何か仕込んであると気付くまでに、1年掛かった! オッドアイであることは分かっていたが、そこにメカが仕込まれているとは、彼が実際に赤外線を避けているところを見るまで気付かなかった!
私―――「怪盗」シャンティとしては、何としても手に入れたいモノ。だからこうして、「記者」として彼の動きを調べているのだ。
ここは、トーカ撮影所。「怪傑ファントム」の本来の居場所だ。「ファントム」は、このドラマで使われたスーツを流用している。番宣の可能性もあるが、それにしては手が込みすぎている。「ファントム」の方が、「怪傑ファントム」よりもはるかに素晴らしいのだ。弱者を助け、そして悪人を捕まえる。「怪傑ファントム」は、お世辞にもあまり教育的とは言えない。ただの喧嘩を描いているだけなのだ。
「こんにちは、サクラン新聞です。怪傑ファントム役のハリマオさんですね? 現在巷で話題の『ファントム』の正体はクルー内部の者だという予想がありますが、いかがでしょうか?」
怪傑ハリマオは、女児のファン(若冠二十歳くらい)達にサイン
をしてやりながら、私の顔と体をちらちら見て言った。「あーん、それなら、村上ってやつが怪しいぜ。オレのスーツアクターだけど」
「怪傑ファントムのスーツアクターですか?」
「ああ、そこにいるから。あ、待って、名刺もらえる?」
向かおうとしていた私を呼び止め、そう言った男に私はあからさまな不快の表情を示しながら去った。
村上という人物――名前からすると日系人だが――は小柄で、少し焼けていた。使われていない大道具の上に座り、怪傑ファントムの衣装を着て、ペットボトルの水を飲んでいる。私が「あなたがファントムの正体か」と聞くと、「いや」と答えた。
「この仕事で忙しくて、とてもほかの事はできないよ」
「しかし、ファントムは深夜の1時間程度しか目撃されていません。本業のある人でも十分可能だと私たちは考えています」
「たとえそうでも、そんな金にもならないこと、僕はやらないなぁ」
こいつは違うな、と私は思った。人と目も合わせようとしないし、後ろ暗い雰囲気がある。前髪が長くて、まともに顔が見れなかった。とても、ヒーローというがらではないように思えた。
「しかし、ファントムに感謝した人がファントムグッズを買ったりするかも。そうしたら会社に利益が入りますし…」
「僕の給料は変わらないよ。とにかく、こんな時に他人を助けてる余裕なんてないから」
「こんな時とは、氷河期のことですか?」
「そうだよ。じゃ」
その夜、私はファントムと接触することに成功した。毎晩サンフランシスコの町をフラフラしていて良かった。一瞬見えた影を見失わないよう、ドローンモービルで追う。
「ファントムさん!! 私、帝都新聞社のリサ・スギモトです! 取材に応じてもらえませんか!?」
返事はなく、スピードを落とさず彼はサンフランシスコのビルを駆け抜けていた。
「これからどこへ行かれるんですか!? なぜ、犯罪の起きる場所が分かるんですか!?」
予想通り、返事はない。
「あなたの右目のコンタクトレンズ…コンピューターと繋がっていますよね?」
ここで初めて、彼が私を視界に入れた。
「私の調査です。このまま付いていってもいいですよね? これからどこに向かうんですか?」
「…今夜19時4分、サイエンティフィックホスピタルで医療事故が起きる。それを防ぐ」
「7時4分って…今6時50分ですよ。なぜ未来のことが分かるんです? やはり、その瞳に内蔵されたコンタクトレンズですか?」
「…」
未来の事実をシミュレーションするスーパーコンピュータ…私はますます欲しいと思った。
結論から言うと、患者の名前は松長瑞穂。どうやら、病院の派閥争いに巻き込まれた、いわば「仕組まれた」医療ミスだったようだ。特に目を見張るようなアクションはなかったが、ファントムが無事本来の患者のレントゲンを届け、事なきを得たのだった。
病院の屋上で、私は彼に問い詰めた。
「教えてください。あなたはなぜ、ヒーローをしているのですか?」
「世界は平等であるべきだからだ…力は弱者のために使わなくてはならない」
「それは現代の資本主義社会の思想に反するのでは?」
「女のくせに、難しい言葉を覚えたのか」
「そんな言い方ないでしょ!?」
「そうだ。その怒りから人を救うのに、理由なんか要らないだろう。私はこの町の人々の悲しみを解放したい。それだけだ。」
私はファントムの視線を目で追った。サンフランシスコのライトは、人々の悲しみを表しているかのようだった。
「では、なぜ警察に所属しないのですか…」
そう聞きながら視線を戻すと、もう彼はそこにはいなかった。
――ファントム、ね。面白い。あんたのその瞳、必ず私がありかをつきとめて、奪ってやる。怪盗シャンツィの名に懸けてね――。
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