燃え尽きたように頭がショートして、考えのまとまらない日々が5年ほど続いた。胸は痛み、息苦しく、夢ばかり見る。せっかく育てた理性も一瞬で無に消えたようだった。噛みしめ過ぎてただでさえ少ない歯が二本折れた。不安感と運命に対する憎しみで発狂しそうな頭を抱えながら泣こうとしたが、もう枯れていた。自分の心は完全に壊れたと悟った。不安を引き金に決まって夜中に起こる自律神経発作に、このままひとつも報われないまま死ぬ悔しさが募り、救急車の中でいつも泣いた。頼れる人は誰もいなかった。親は苦しさを半分も理解できず、「早く働け」「恥をかかせるな」「育て方を間違えた」などとのたまった。ただでさえ少ない友達は、怒りと八つ当たりと持ち前の発達障害、人生や世界全てに対する投げやりな態度、そして自律神経の乱れからくる疲れからくるぞんざいさやそれを隠す違和感、ニートや大学中退などによるカーストの暴落、思考力の低下のせいで一人残らず既読無視、ブロックされた。「どうしちゃったの? 悩んでるなら相談に乗るよ」と返してくれる優しい友達に一人も出会えなかったのは、運の悪さなのですか? 貸したものは二度と返ってこなかった。その中には、発作による死を覚悟したときに預かってもらった原稿や資料なども含まれていた。つまり、私は私自らの手で私の人生の25年を全て不毛にしたのだ。
就労移行支援を進められたが、敵わない相手にマウントを取られるのは金輪際断じて嫌だった。ごくわずかないじめや見下しも嫌だったし、そもそもプライベートを支援員に話すことがいやだった。また理解されない、いじめられる、叱られると思うと、動けなかった。喋れなかった。トラウマは、私の「生」すべてに覆い被さっていた。
世話はしてほしいものだからやっぱり…?わるいことか?
世話だけは境界性もしてほしいやん。いじめはいやだけどさ。あ、強迫はいじめられることそのものじゃないからか?
そんなときに、あじさいの家の存在を知った。